こんにちは、Takezo (@arquero_takezo) と申します。
哲学カフェ「クオリア」では、相模原・八王子などを中心に哲学カフェを開催しています!
普段から肌で感じているちょっとしたことを深く考えたり、哲学的・倫理学的なテーマについて、のんびりと安心して話し合える場を提供しています。
今回は、第6回オンライン哲学カフェ開催のお知らせです。
延期ののち、無事開催を終えました。ありがとうございます。
目次
「障害と生命の価値」
◇ イベント詳細
今回は オンラインミーティングアプリケーション"zoom” を活用しての開催です。
テーマ「障害と生命の価値」
日時 : 2021年4月17日 5月15日 (土) 9:30~11:30
4月17日開催予定だった会を、延期して開催します。
開始15分ほど前に LINEオープンチャット にてミーティングのリンクをご案内いたします。( メール や Twitter のご案内をご希望の方は、それぞれご連絡ください。)
場所 : zoomミーティングアプリケーション
事前にPCやスマートフォンに zoomアプリケーション をインストールするなど、準備をしておくと参加がスムーズです。
定員 : 10名程度(申し込みはありません)
費用・持ち物 : なし
◇ ご参加にあたって
- 参加には、年齢や所属を問いません。
- 申し込みは不要です、当日お時間まで zoomアプリケーション をご準備ください。
- ご意見・ご質問等は、本記事へのコメントか、公式Twitterアカウント または LINEオープンチャット まで、気軽にお問い合わせください。
- 哲学カフェ以外の、セミナーやイベントなどの宣伝・勧誘はお断りさせていただきます。
- 楽しんでお話しましょう!
◇ テーマ設定にあたって
今回のテーマは「障害と生命の価値」です。
人が生きているとき、その価値はどのように測るものでしょうか。わざわざ価値など測るものではない、そういう意見もあるでしょう。
例えば、人によって支払われる賃金は異なります。どんな仕事をしているか、どんなスキルが必要か、または体格や外見、性別、年齢、健康状態......様々な要素があります。その沢山ある要素のなかで、自分で満足できるものはどれだけあるでしょうか、自分でコントロールできるものはどれだけあるでしょうか。
生命の価値は、いくつかの測り方が考えられます。生涯賃金、余命、役職、スキル......いろいろあります。これらの測り方、いやそもそも、生命の価値を測るという試み自体、妥当なことなのでしょうか。
「障害者を尊重することで助け合いの風土が醸成される」「感動ポルノ」という言葉を聞いたとき、存在に理由が必要とされる限り、生産性の呪縛から逃れられていないような気がしました。人の、内なる優生思想に、反抗していく必要があるのではないでしょうか。
少し立ち止まって、生命の価値や生きる意味について考えてみましょう。参加される方のよいきっかけになることを期待します。
哲学カフェ「クオリア」について
◇ 哲学カフェとは
飲み会で1時間くらいすると、世間話や愚痴ばかりでなく、ちょっと真面目な話をしたくなりませんか?
「真面目な話をしてみたい」とか「他の人の考えを聞いてみたい」とか、そんな人達が集まって、テーマに沿って話してみましょうという場です。
「ちょっと哲学に興味ある」「難しそうだけど面白そう」そんな あなたが主役。
哲学を知らなくても問題なし。オープンな場なので、肩書も名前も関係ありません。無理に話さなくても大丈夫、聞いているだけでもいいです。
「哲学カフェってなんだろう?」という記事に、哲学カフェの起源を書きました。ぜひご覧ください!
◇「クオリア・QUALIA」とは
クオリア(英:Qualia)とは、「感覚」それ自体のことを言います。
「リンゴの赤い感じ」のように、主観的に体験する質感のことです。人は同じものを見ていても、体験はそれぞれ違うかも知れません。
人それぞれが肌で感じたことを、ちょっと立ち止まって考えてみて、言葉にしてみる。そして、それについて話し合う。
こういう思いから、この哲学カフェを「クオリア」と名付けました。
ご参加をお待ちしております。